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第17話 誰もいない音楽室

Author: なつめ
last update publish date: 2026-08-13 05:49:50

 ピアノは、同じ四小節を繰り返していた。

 低い音から始まり、少しずつ高くなる。

 途中で一度だけ旋律が途切れ、また最初へ戻る。

 廊下の奥。

 音楽室の方角。

 誰もいないはずの校舎で、一つの鍵盤を人の指が押し、その余韻が消える前に次の鍵盤が沈んでいる。

「行かないと駄目なの?」

 奈々香がスマートフォンを握ったまま言った。

「二つ目は音楽室って書いてあるだけでしょ。無視して出口を探そうよ」

「さっき無視しようとして、教室の前へ戻された」

 悠斗が答える。

「なら、また戻されるだけじゃん!」

「声を落とせ」

「無理だよ!」

 奈々香の声が廊下へ響く。

「透が死んでるんだよ。なのに今度は校歌を聞けって? そんなの従ってたら、次に誰が死ぬの?」

 その言葉に、全員の視線が担架へ落ちた。

 相馬透。

 美月の上着を掛けられ、簡易担架に横たわっている。

 教室の出席簿では欠席とされ、死んだあとで自分の声を使って返事をした男。

 朔が担架の端を持ち直した。

「先に透をどうするか決める」

「どうするって、運ぶでしょう」

 美月が即座に答えた。

「さっき決めた」

「このまま音楽室へ運ぶのは危険だ」

 悠斗が反論する。

「狭い防音扉もある。何か起きたとき、担架を持ってたら動けない」

「ここへ放置する方が危険よ」

「死んだ人間が、これ以上危険になるのか」

 美月の視線が冷たくなる。

「遺体は証拠よ」

「証拠?」

「首の傷。磁気テープ。手指に残った傷。衣服。誰かが触れば変わる。私たちが外へ出て警察へ引き渡すまで、できるだけ状態を残す必要がある」

「じゃあ担架で連れ回して、階段から落としたらどうする」

「置いていけば、誰かに動かされるかもしれない」

「誰が」

 悠斗が苛立ったように周囲を見回した。

「この校舎にいる犯人が?」

「そう」

 美月は迷わなかった。

「少なくとも、透を殺すための装置を作った人間はいる。誰かが透明な糸を使った。小型モーターを取りつけた。放送設備にも細工した。人間が触った痕跡がある」

 朔が二年七組を振り返った。

 机が七つ並ぶ教室。

 扉は開いたままだ。

「ここへ置く」

 澪が彼を見る。

「大丈夫なの?」

「扉を内側から固定する。窓も確認する。侵入されたら分かるように痕跡を残す」

「私たちが戻れなかったら」

 奈々香が言う。

 朔は一瞬黙った。

「戻る」

 断言ではなく、そうする以外にないという声だった。

 五人は再び透の担架を持ち上げ、二年七組へ運び込んだ。

 七つの机は、出席を終えたあとから動いていない。

 澄花の席だけ、椅子が数センチ後ろへ引かれていた。

 美月は教室の後方に机を二つ並べ、その上へ毛布代わりの古いカーテンを敷いた。透の身体を五人で持ち上げ、ゆっくりと横たえる。

「頭を先に」

 美月の指示へ、全員が従う。

 澪は透の後頭部を支えた。

 もう体温はほとんど残っていない。

 首筋は冷え、髪も乾き始めていた。

 美月が透の上着を整え、顔へ薄い布を掛ける。

 奈々香は泣きながら、その足元へしゃがんだ。

「ごめんね」

 何に謝ったのかは言わなかった。

 朔は窓を一枚ずつ確認した。

 錆びた金具を締め、上から撮影用の白いテープを貼る。窓枠と壁を跨ぐように一直線へ貼り、中央へ小型カメラで時刻を記録した。

「これが切れてたら、窓が開いたことが分かる」

 次に扉。

 内側の床へ机を二つ重ねて押しつけ、完全には閉じない程度の隙間を残す。

「閉め切るの?」

 奈々香が不安そうに訊く。

「外から確認できるよう、ここは少し開ける。ただし、人が通れば机が動く」

 朔は扉の上下へ黒い撮影用テープを貼った。

 扉と枠を跨ぐ形。

 その上から、小さな印を油性ペンで書く。

「剥がして貼り直せば分かるようにした」

 廊下側の壁には、小型カメラを設置した。

 棚の上へ固定し、二年七組の扉全体と、その前の廊下が入る角度へ調整する。

 奈々香が画面を覗く。

「電池、持つ?」

「三時間以上は動く」

「通信は?」

「しない。端末内へ保存する」

 悠斗が腕を組んだ。

「犯人がここにいるなら、カメラごと持っていく」

「それも記録になる」

「持っていかれた映像をどう見るんだ」

「何もしないよりましだ」

 朔の口調は崩れなかった。

 澪は、またその冷静さに助けられている自分に気づいた。

 同時に、透が言ったことも蘇る。

 識別信号の方法を知っていたのは、透と朔。

 放送室の装置には、録音と映像へ詳しい人間の手が入っていた。

 今、朔は校舎の罠に対して、あまりにも迷いなく対処している。

 信じたい。

 だからこそ、疑いが生まれるたび胸が痛んだ。

「行こう」

 美月は透の布へ最後に一度触れ、立ち上がった。

 五人は教室を出た。

 朔が扉の隙間から机の位置を確認し、外側へ最後の封印用テープを貼る。

 白いテープに、時刻。

 午前一時十九分。

「戻ってきたら、まずこれを見る」

 澪は透の姿が見えなくなるまで隙間を見つめていた。

 廊下へ響くピアノは、まだ同じ旋律を繰り返している。

 五人は音の方角へ歩き始めた。

 校舎は先ほどまでの歪みが嘘のように素直だった。

 曲がり角を一つ。

 階段を半階分。

 渡り廊下。

 音楽室と書かれた札が、暗い扉の上へ残っている。

 八年前にも見た。

 澪の記憶の中で、雨音の向こうから少女たちの歌が聞こえた。

 ピアノではなかった。

 何人もの少女が、声を揃えて歌っていた。

『遠き峰より朝は来て――』

 歌詞の続きを思い出そうとすると、頭の奥が痛む。

「澪?」

 朔が振り返った。

「この曲、前にも聞いた」

「八年前?」

「うん。でも、こんな音じゃなかった」

「何だった」

「歌」

 澪は耳の奥へ意識を向ける。

「女の子が、何人も歌ってた。廊下の奥から」

 奈々香が顔をしかめる。

「それ、今言わないでよ」

「覚えてるの?」

 美月が訊く。

「少しだけ」

「どこまで?」

「歌を聞いたことだけ。誰と一緒だったかは……」

 また記憶が白く切れた。

 音楽室の扉の向こうで、同じ四小節が終わる。

 一秒の沈黙。

 また最初へ。

 悠斗が取っ手へ手を掛けた。

「鍵は開いてる」

「待て」

 朔が扉の下へ光を当てる。

 細い隙間。

 糸や罠らしいものは見えない。

「開けるぞ」

 悠斗が押した。

 防音扉は重く、低い唸りを立てながら内側へ開いた。

 古い音楽室。

 壁には剥がれた吸音材。端へ積まれた木製の椅子。譜面台の多くは倒れ、床には黄色く変色した楽譜が散らばっている。

 中央に、黒いグランドピアノがあった。

 誰も座っていない。

 それでも鍵盤は動いていた。

 白鍵が一つ沈む。

 戻る。

 次の鍵盤が沈む。

 人の指が順番に押しているのと同じ速さで、七刻女学校の校歌を奏で続けている。

「いや」

 奈々香が後退した。

「無理。これは無理」

「動くな」

 朔が言うより早く、奈々香は廊下へ出ようとした。

 防音扉が閉まる。

 重い音。

「開けて!」

 奈々香が取っ手を回す。

 動かない。

「また閉じ込められた!」

 悠斗も加わり、二人で押す。

 扉は枠へ吸いついたように開かなかった。

 美月がスマートフォンの文章を見る。

「途中で耳を塞いだ人は帰れません」

「耳を塞がなきゃいいんでしょ!」

 奈々香が叫ぶ。

「だったら聞く。最後まで聞けば開くんでしょ」

 だが、ピアノは最後まで進まない。

 同じ四小節。

 繰り返す。

 いつまで経っても先へ進まない。

「これじゃ終わらない」

 悠斗が鍵盤へ近づく。

「触るな」

 朔が止める。

「何でだよ」

「勝手に動いてる原因を先に見る」

 朔はピアノの周囲を一周した。

 響板。

 ペダル。

 鍵盤の下。

 床へ膝をつき、身体をピアノの下へ滑り込ませる。

「朔」

 澪がしゃがむ。

「何かある?」

「光をくれ」

 懐中電灯を渡す。

 朔は奥へ腕を伸ばした。

 金属が小さく鳴る。

「見つけた」

 ピアノの下には、本来ない配線が束ねて固定されていた。

 朔が横板を外す。

 鍵盤の裏側に、小さな円筒形の装置が幾つも並んでいる。

「何これ」

 美月が覗き込む。

「ソレノイド」

「分かるように言って」

「電気を流すと棒が動く。鍵盤を下から押せる」

 朔は一つを指した。

 校歌の旋律に合わせ、金属棒が一定の間隔で上下している。

「タイマーで順番に作動させてる。人が弾かなくても演奏できる」

 悠斗が長く息を吐いた。

「これも人間の仕掛けだ」

 その声には安堵が混じっていた。

「じゃあ、全部そうなんだろ。透だって幽霊に殺されたんじゃない。誰かが仕掛けた装置に殺された」

 美月は表情を変えなかった。

「装置を作った人間が、この校舎のどこかにいるという意味でもあるけど」

 悠斗の安堵が消える。

 朔は配線を追った。

 電源は、ピアノの奥へ固定された黒い箱につながっている。

 箱を取り出した瞬間、澪は見覚えがあると思った。

 古いビデオカメラ用の予備バッテリー。

 二年七組の前に置かれていた、朔の木箱に入っていたものと同型だった。

「それ……」

 奈々香も気づいた。

「朔の箱にあったのと同じ」

「型番が同じだけだ」

 朔は側面を照らした。

 泥と埃で汚れている。

 拭うと、薄い白い文字が現れた。

 K.S

 奈々香の呼吸が止まった。

「名前、書いてある」

 悠斗がバッテリーを睨む。

「神代朔」

 朔の横顔から、わずかに色が消えた。

 澪は無意識に彼を見る。

「朔のなの?」

「八年前、同じ物を使ってた」

「箱の中に入ってたのは?」

「俺が警察へ渡した予備だと思ってた」

「これは違うの?」

「予備は複数あった」

 朔はバッテリーの傷を確かめる。

 角に白い削れ跡。

 側面のイニシャル。

「これも俺が使っていた可能性が高い」

 奈々香が一歩退いた。

「可能性って……」

「八年前、撮影中に一つなくした」

「どこで」

「この校舎の中」

「そんな話、今までしてない」

「機材が一つ紛失しただけだ。事件のあと、警察には報告した」

 悠斗が腕を組む。

「都合よすぎないか」

「何が」

「今夜使われてる仕掛けに、お前の機材ばかり出てくる」

「俺もそう思う」

 朔は否定しなかった。

「だから、誰かが意図的に使ってる可能性も考えるべきだ」

「自分で使ってる可能性じゃなく?」

 奈々香の声は細かった。

 朔が彼女を見る。

「そう考えるなら、それでもいい」

 澪は胸が痛んだ。

 信じたい。

 朔は何度も自分を助けた。

 照明器具が落ちたときも、シャッターが閉じたときも、澪を先に庇った。

 だが、それと八年前に何をしたかは別なのかもしれない。

 透の装置。

 放送設備。

 映像の加工。

 識別信号。

 そして、このバッテリー。

 すべて、音と映像に詳しい人間なら作れる。

「朔」

 澪は呼んだ。

「何だ」

「本当に、一つなくしただけ?」

 朔はすぐには答えなかった。

「当時、返却された機材を全部確認したわけじゃない。警察に押収されたものもあった。なくしたと思ったのが一つだけかは断定できない」

「じゃあ、ほかにも残ってるかもしれない」

「あるかもしれない」

 その答えが、澪の不安を消すことはなかった。

 ピアノの演奏が突然止まった。

 五人が振り向く。

 校歌は最後まで進んでいた。

 先ほどまで繰り返していた四小節を越え、知らない旋律が続き、終止へ向かう。

 あと一音。

 最後の白鍵が沈めば終わる。

 しかし鍵盤は動かなかった。

 静寂。

 奈々香が息を吐きかける。

「終わった……?」

 天井のスピーカーから少女の歌声が流れた。

 一人。

 次に二人目。

 三人目。

 声が重なり、古い教室いっぱいに少女たちの合唱が広がる。

 澪の背筋が冷えた。

「違う」

 美月が耳を澄ませる。

「さっきの校歌と違う」

 澪も気づいた。

 旋律そのものは同じだった。

 けれど、進む方向が違う。

 最後に置かれるはずの音から始まり、一音ずつ前へ戻っている。

 歌詞も息継ぎも不自然に逆へ流れ、少女たちの声が喉の奥へ吸い込まれていく。

「逆再生……」

 奈々香が呟く。

 透が死ぬ直前に聞いていた音と同じだった。

 朔は天井のスピーカーを見上げる。

 外したソレノイドは止まっている。

 ピアノのバッテリーも、彼の手元にある。

 それでも少女たちの合唱は続いた。

 最後から。

 最初へ向かって。

 そして五人の背後で、動かないはずのピアノの最後の鍵盤が、一つだけ静かに沈んだ。

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  • この物語を最後まで読んではいけない ――七つの呪地と八人目の犯人――   第20話 先に振り返った澄花

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